「しかない」大流行

徒然なるままに
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「〜しかない」というフレーズ、ここ数年間で爆発的に広まりました。主語を曖昧にしたまま「品よく強調」できるのでしょう。子供からオジサンまで、これほどまでに市民権を得たフレーズは、少ないのではないでしょうか? 年末恒例の「流行語大賞」にノミネートされないのが不思議です。

今話題の伊東市長問題において、前議長は「怒りしかない」と言っておられます。スポーツ選手はインタビューで「家族へは感謝しかない」と言っています。怒りから感謝まで、モノからコトまで、ありとあらゆるシーンに適用されています。

以前は強調を示す表現 として

チョー/マジで/めっちゃ/ヤバい

などが使われました。これらの言葉、NHKアナウンサーが使ったなら、敏感な視聴者からクレームの電話がかかってきたでしょう。しかし、今どき「~しかない」と言っても、大丈夫そうな気がします。昔は「チョー(超)」を連発すると、年配の方に怒られました。当時私は「超精密加工」(Ultra-Precision Machining)を研究していたのですが、「流行に乗っているようで、恥ずかしいね」と仲間から、からかわれました。ちなみに、その技術はスマホのカメラレンズの金型に活用されています。

なぜ「しかない」は、これほど普及したのでしょうか? 私は「情報過多の現代社会において、”しかない”と限定すると、その他を排除でき、スッキリするからではないか?」と考えます。脳が無意識に、このフレーズを欲しているのではないでしょうか? 「要するに」と言って、要約しないと気が済まない人が増えているのも、同じ理由ではないかと思うのです。

私は、このフレーズを聞くと、とてもモヤモヤしてしまいます。中庸としておくことに耐えられない世の中になってきたのではないかと、危機感を覚えてしまうのです。

また「主語の曖昧さ」も、とても気になるのです。「私は〜と思う」と言うのを避け、「そこには〜しかない」と、人を主語から外すのです。昨今使われる「わかりみが深い」という表現も同じで、「私は深く共感する」を、「分かる→わかりみ」と名詞っぽくして、それが深いと言い換える。”私”がどこかに行っちゃうんですよね。

何だか、こんな言い回しをしているうち、主体性なんて何処かに飛んでいってしまうように、私は感じるのです。言霊のパワーですね。皆さんはどう思われますか?□

↑2年前の、このコラム…
ずっとアクセスがあるので、
違和感を覚えているのは、
私だけではないように感じています

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