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  3. マズローの欲求5段階説における所有の意識とそこからの解放
このコラムは、マズローの欲求5段階説を仏教的切り口で論じたものです。
所要:3分

マズローの欲求5段階説については、以前ココでも触れました。生理的欲求や安全欲求については、ほどほどのところで手放し、所属と愛情欲求、自尊欲求はアドラー心理学で克服。その上で「自己実現に向かいましょう!」、「まずやってみよう!」とお伝えしました。

私は昨日、会社員を卒業してフリーランスとなりました。会社に属するということは、所属欲求を満たすとともに、安全欲求と生理的欲求を満たすものですね。改めて実感しました。会社の中での人間関係が良好ならば、愛情欲求も満たされるでしょう。

しかし、この考えが高じると、生理的欲求も安全も所有の対象となります。健康維持に適切な費用が拠出でき衣食住に困らないのは、会社に所属し金銭を所有しているからだと。本来1、2段目が満たされた上での3段目なのに、3段目が1,2段目を支配しているのです。

更には所属意識さえ、自ら勝ち得たものだと考えてしまう節はないでしょうか? 世の会社では非正規雇用の方と正社員の間に心理的な壁があるようですね。前職の会社ではそのようなことはありませんでしたが、あたかも組織への所属権を有している正社員の方が偉いという心理的バイアスがあるようです。所有の意識、恐るべし… ちなみに愛情も所有の意識が全面に出ると悲惨ですね…

このように「生理的欲求~安全欲求~所属と愛情の欲求」に対し所有の意識が全面に出ると、この一角を崩す、例えば会社を辞めるなんてこと、なかなかできないものだと私は思います。勝ち得た所有権を手放すことなんて容易ではないのです。

さて仏教では、生理的欲求も安全欲求も、自らが所有する対象とは捉えないようです。仏心の中で生かされていると捉えて感謝します。”我”が所有しているとは捉えないのです。諸法無我と言います。また特定の組織に所属しなくても、人はみな大自然の一部として”既に所属”しているのです。自分を産み育ててくれた両親やお世話になった幾人の人への愛で満たされるでしょう。

こう考えると、所有するという執着からは解放されます。無理に積み上げなくても、ほどよい自尊感情の下、自己実現に向かうのです。ちなみに仏教は、「自己実現しなければいけない」、「何か成さねばならない」などと、他人に強いる教えではないようです。「もうあなたがそこにいるだけで素晴らしい」とする教えですから、「自尊感情を満たしたい」とか、「自己実現したい」とかいう欲求からも解き放たれるようです。

但し、ひたすら思い続けた先に解放があるようです。私は未だ暫くの間、煩悩を追い続けたいと思います。□

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