先日、「防災人材交流シンポジウムつなぎ舎」(2023/12/9、名古屋市中区役所ホール)に参加しました。東日本大震災の語り部として活動を続ける方々の、貴重なお話しを拝聴致しました。その後のパネルディスカッションの中で「(我々のような若手が伝承活動を続けていると)”意識高い系”として揶揄されることがある」とありました。
「意識高い系」という言葉はよく耳にしますが、改めてその意味を調べたことはありませんでした。会場内で早速ググってみると…
意識高い系(いしきたかいけい)とは、自己顕示欲と承認欲求が強く自分を過剰に演出するが相応の中身が伴っていない人、前向き過ぎて空回りしている人、インターネット(SNS)において自分の経歴・人脈を演出して自己アピールを絶やさない人などを意味する俗称である。本当の意味で意識が高い人の表面的な真似に過ぎないため、「系」と付けられている。(出典:Wikipedia)
ひゃ~そうなんですね。「意識が高い学生」は良いが、”系”とついただけで、揶揄する言葉になるなんて、オジサンは知りませんでした。どうやら、”相応の中身が伴っていない”というところがポイントのようであり、今や年齢に関係なく使われるようです。私はサラリーマン時代「あの人、正論ばっかりで全く行動が伴わない人だね」等とつぶやいていましたが、まさにそれが、”意識高い系”なのですね。
その特徴は、自分のプロフィールを盛ったり、著名人の名言を吐きまくる、人脈作りに熱心、異業種交流会や勉強会をやたらと聞く、ビジネス書を読みまくって中途半端に真似をする(出典)なんだそうで…私のこと言われているのかもしれません。ごめんなさい、フリーランスは発信しないと仕事にならないのです。(笑) 前職でもキャリアについて語ると、鼻をつままれてましたからね…「あいつ、意識高い系だな」なんて言われていたかもしれません。
話を元に戻しましょう。私はこの防災シンポジウムに参加されていた学生さん、「意識高い」とは思いましたが、「意識高い”系”」とは思いませんでした。なぜなら、何かしら行動に移しているから。自分の20~30代は、とてもそんなこと出来ませんでしたので、彼らがとても眩しく見えます。
そんなタイミングで、NHKラジオ第一、マイあさ!の日曜特集(12/10(日) 7:12頃~)で興味深いお話しを聴きました。経済社会システム総合研究所の調査結果について、東大名誉教授の神野直彦先生が解説されています。政府を全く/あまり信頼できないという人が5割。「望ましい社会を創る上で、中心となる主体はどこか?」と問われると、「国や自治体」と答えた方が7割もいるようです。これに対して神野先生は、
日本の社会は政府を信頼していないのに、これからの望ましい社会を創ることを、”信頼していない政府”に任せようとしている。(中略)日本の社会が、自分たちの社会を、自分たちで創る意欲を失ってしまったということについて、言い様もない悲しみを込めた不安を感じる。
とおっしゃっていました。そんな他人任せの風潮の中、過去の経験を語り継ぎ、一人でも多くの命を助けようとする彼らの活動は尊いです。これらの防災活動がボランティアにとどまらず、”価値ある仕事”として社会に認識されていくことが大事ですね。キャリアコンサルタントとして出来る事はないか?考えていきたいと思います。□
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