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  3. 他人と比べた途端、不幸が始まる ~幸せを定量化する危険性~
このコラムでは、他者との比較が不幸を招くことについて述べます。
所要:3分

Well-beingを経営に取り入れる会社が増えてきました。日経はWell-being Initiativeという活動を通して幸せを定量評価しようとしています。「測れないものは改善できない」と叩き込まれてきた我々理系脳にとっては、ごく自然なアプローチのようにも思えます。しかし仏教では「他人と比べた途端、不幸が始まる」とも言われます。ここでは、その矛盾について考えてみましょう。

隣の芝生は青い

「隣の芝生は青い」という言葉にあるように、比べた途端、隣の家の芝生が青く見え、自宅の芝がみすぼらしく見えてしまいます。英語でも全く同じ表現があるようですね。

The grass is always greener on the other side of the fence.

他人を妬む心は万国共通ですね。日本には芝生のある家なんて少ないでしょうから、「隣のレジは早い」(お寺の掲示板)の方がピンときますかね? SNS全盛の昨今、如何に充実した生活を送っているのか写真を投稿し、いいねの数で競い合う…それに疲れて心を病んでいしまう方も多いようですね。

私も「他人が取り組んでいない新しい研究」ばかりを追い求めていた頃は、ネット検索する度、見なきゃよかったと落胆していました。そんな調査を続けるうち、「大抵のことは先人や他社が考えている。既にやられていると落胆している間があれば、すぐにやってみよう。」と思えるようになるまで、だいぶ時間がかかりました。ベンチマークは当然やるけれども、そこにとらわれない姿勢が身に付き、情報の波にのまれてしまうことが少なくなりました。

仏教と企業活動

さて「比較するから苦しくなる」ということは、仏教の世界ではたびたび論じられていて、遥か昔から人間が持っている特性であることが分かります。分別をしない(無分別)、差別をしない(無差別)の世界を説きます。

従来の企業活動は分別、差別の世界です。「差別的価値」を生むことで、企業が存続していることは否めません。ベンチマーキングは比較の最たるものですね。競争優位性を生むには差別化が必要だからです。

しかしながら差別こそが価値を生む、従来の資本主義の中にも矛盾が見えてきました。差別化して独り勝ちするより、皆でその市場を作り上げ、多くの人がその恩恵に与かるようにした方が良い…という考えに基づいたビジネスモデルは、あちこちで見られるようになりました。

また見えない価値を探したり、従来見えなかった価値を膨大なデータから見える化し、新しい価値を生もうという流れが広まってきましたね。幸せの程度を定量化する動きも、この流れの中にあると私は考えています。

幸せを定量化する危険性

国際的に幸せ度合を比較した結果に、World Happiness Reportがあります。こういった、幸福度ランキングを見て…

  • 「日本は先進国の中で最下位だ」
  • 「幸せ度を上げる施策が必要だ」
  • 「低い原因はどこにあるんだ?」
  • 「日本人は控えめだから、低く出るのだ!欧米の指標では語れないはずだ!」
  • 「日本人にあった幸せの尺度を作ろう」

という議論がわき上がります。しかし私は思うのです。目指しているのは主観的な幸福であって、その測定も主観的なものに過ぎない。なのに何故、他者と比較し、客観的な評価を下そうとするのでしょうか?

ちなみに、幸せの国ブータンは近年ランキングが急落したそうです。その理由についてはいろいろな考察がなされていますが、インターネットの普及によって他国の情報が入ってきたことを上げる方もおられます(例えばコレ)。

仏教は二元論では語らない

仏教は、

  • 分別/差別=悪いもの/不浄なもの
  • 無分別/無差別=良いもの/清らかなもの

というような二元論で片付けない教えではないかと、私は思うのです。二元論で考えると、

  • 経済の世界 = 分別、差別の世界
  • 幸せの世界 = 無分別、無差別の世界

となって、同時に成立しないものとなります。私は社内でWell-beingを基調とした風土改革活動をする中で、「Well-beingなんて所詮お花畑の世界だ。経済活動とは相容れないものだ」という声をたくさん聴きました。理系脳は全て数値化できると思い込む、悪い癖があるのではないでしょうか? 「測定できないものもある」、「分別できないものもある」と受け容れることで二元論で固まった世界から解放される… 私はそう思います。

自分の中で比べるのは大事

主観的な尺度で測定した幸福度。これを他者や他国と比較すると、何やらおかしな話になりますが、自身の中で比較検討することは重要だと思います。冷静に自己を見つめることは成長の原動力だからです。アドラー心理学では、「人はもともと優れた自分になりたいという目的をもっており、劣等感を”完全な努力”に向けること」を重要視します。他者に優るという”優越への努力”ではなく、”完全への努力”。その尺度は一人ひとりの胸の中にあるのです。□

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