「やってみなけりゃ分からない」をマトリックスで整理すると図1のようになります。
何かの問題に対峙したとき、人は難しいか易しいかを考えます。
- ①難しいけれどやるは勇気ある判断。
- ②易しいからやるはフツー。
- ④難しいからやらないはモッタイナイ。
- ③易しいのにやらないは、気力が萎え過ぎていてアブナイ。
実はやってみないと、難しいか易しいかは分からないので、やるしかないですね(図2)。人は経験から学ぶので、やって初めて「難しいか易しいか」分かるのです。
実は何でも「やってみたら難しい」ものであり、達人ほど、「やればやるほど難しい」と言います。研究者はそういう傾向にありますね。結局残るのは①だけなんです(図3)。「難しいからこそ、やる!」くらいのメンタリティがないと研究者は務まりませんね。
さて「人はなぜ生きるか?」は、誰が考えても難しい。それを探求するのが、哲学であり宗教です。だからと言って、それは死ぬまで分からず、難しいことを受容れるのが宗教なのでしょう。分かろう分かろうとして、分からないことを受容れる… 私はそんな風に捉えています。
しかし「やる/やらない」、「難しい/易しい」が全て自分自身で選択可能だと思うと不幸になりますね。何でも「分別がつく」と思うと、とても危険。分別と無分別、どちらも認めるのが重要なのだと思います。□
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