やればいいのに、なぜ実践できないのか? ~理入と行入~

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禅における修養のアプローチには、理入と行入の2つがあるそうです。理入とは、仏教の教理を学ぶこと。行入とは、実践を通して学ぶこと。理入と行入は相互に補完しあうので、どちらか一方だけでは不十分とされます。

私は前職において人材育成に携わっていました。外部の講師を招聘したり、自ら講師を務めたりしていましたが、研修終了時はいつも同じ問題を抱えていました。それは研修内容が実践に移されないことです。

終了後にアンケートを取ってみると、「とても有益な話だった。ぜひ職場に帰って実践したい!」と書いてあります。後日再会した際「どうですか、実践していますか?」と問うのですが、芳しい回答が返ってくることは殆どありません。

場合によってはアンケートの時点で、「紹介された事例は、あの大企業での話でしょ?当社で実践するのは無理!」と手厳しいコメントをいただくことも度々ありました。事例が中小企業の場合、「あれは中小企業だからできること。当社ではできない。」と言われるのです。当社とは規模が違う、業界が違う、経営者の考え方が違う…もう、”出来ない理由”のオンパレードです。

研修は”理入”です。その理(ことわり)を学ぶことです。しかし受講生の皆さんは理ではなく、事例すなわち方法論を持って帰り、実践しようとします。しかしあくまで他社での事例であって、当社とは前提条件が異なります。方法論の根拠となった考え方やマインドをくみ取り、それを職場に持ち帰って欲しい… これが研修担当者の思いなのです。

また、例え理を汲み取ってくれたとしても、行入に移行してくれる受講者は多くありません。これは、職場風土改善活動を行っていた際に強く感じたことです。

前述のように他社の事例を持ってきたところで実践には至りません。そこで本活動では、我々が大切にしている価値観を対話によって紡ぎ出しました。「ありたい姿」を自ら紡ぎ出せば「できない理由」は並べられないからです。しかし、この考え方(理)を実践(行)につなげることが出来ない。「ありたい姿はその通りなんだけれど、実践できるかどうかは別!」と何度も言われました。

私は何年もこの問題に向き合ってきたのですが、この根底にあるのは、論理的思考への偏重であり、概念的思考が弱いためであったと考えています。技術系の会社なので、論理的(ロジカル)な思考は得意なのです。その一方で概念的(コンセプチュアル)な思考が弱いように思うのです。後者は哲学、宗教、芸術などによって養われる部分で、右脳が司っている部分。とても感覚的な領域なのです。

技術オタクも大事ですが、今後はコンセプチュアルな部分を理解し、実践できる技術者が求められていくと私は思います。

もとい、本当の技術オタクは「面白いからやる」という理屈で動いていますよね。既に行入しちゃってます。となると、改めるべきはオタクではなく、概念も語れない中途半端な技術者かもしれません。オタクを究めるか? コンセプチュアルにも強くなるか… どちらかですね。□

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