このコラムを読むと、「正常性バイアスや同調性バイアスなどの人間の特性を知らずに、べき論だけ掲げても、人は動かない」ということが分かります。 所要:5分
詳細プロフィールに示したように、防災士を目指すべく、あいち・なごや強靭化共創センターが主催する「防災・減災カレッジ」に通っております。先の概論に続き、昨日7/15は市民防災コースの一日目でした。私がこの資格に興味を持ったのは東日本大震災の復興ボランティアに参加したからです。震災から1年以上経ってからのことでしたが、現地にて草刈り作業等にあたりました。体力勝負の肉体労働でしたが、今となってはお役に立てそうもありません。そこで自身が被災した際に地域で役に立てる知識を身に付けようというのが受講の動機です。
他にも受講理由はあります。モノづくり産業の集積地であるこの地域が被災することは、この地に働く人達にとっても大きなダメージを与えるでしょう。工場の復旧作業に手を動かせる方ならば、これ迄の現場経験が活かせると思いますが、技術職、研究職であった私のような人達は何が出来るでしょう? 日がなパソコンの前に座り、リモートワークにあたってきた人が出来ることは何でしょう? 地域の防災リーダー、避難所運営のお手伝いでしょうか? カウンセラーとしての能力は活かせるのでしょうか?
次々に疑問は浮かびますが、私には未だ想像を膨らませる知識が足りません。『そんなもの、知識じゃないよ。現場での対応力、人間力だよ』と言われるかも知れません。但し、その準備は必要でしょう。そんな動機で私は参加しています。
さて前置きが長くなりましたが、昨日の講座での最大の気付きは、「地区防災活動と職場風土改善活動は似ている」ということです。「自主防災活動と地区防災計画」と題した、岐阜大学の小山真紀准教授の講演を拝聴しました。そのエッセンスをあえて一言で示せば…
地区の防災計画を立てる際には、いろいろな価値観を持った人がいることを受容れる。「やるべきだ!」だけでは決して動かない。正常性バイアスや同調性バイアスなど、人間の特性を知り、命を守るという目的に合った方法を考えることが重要!
ということでした。その下りで先生は「企業なら同じ目標に向かって、似たような価値観で動いているでしょう。けれど地域はそうはいきません」とおっしゃっていました。私はこの言葉を聞き、「いやいや企業でも、同じようなことが起こってますよ」と思っていました。
私は前職で、数百人の研究開発部署の職場風土改善活動を行っていました。その業界は百年に一度と言われる激動の中に在ります。そこで「これまでのやり方ではダメだ」「このままでは生き残れない」「新規事業に踏み出す必要がある」と危機感を煽り、「やるべきだ!」の一辺倒でその必要性を訴えてきたのです。
しかし組織は簡単に動きませんでした。”価値観の共有”が甘かったのかもしれません。しかし講演の中で紹介された「正常性バイアスの怖さ」の動画*を見て納得しました。どんなに危険が迫っていても変化の程度が緩やかだと危険を回避する行動が取れないのですね。また、周りに居る人が多ければ多いほど、同調性バイアスが働くのです。
*広瀬弘忠先生の日本記者クラブでの講演動画(2011.8.26) → YouTube
韓国の地下鉄火災の件では、このような現象が起きていたことは知っておりました。しかし9.11同時多発テロ、3.11東日本大震災などでも、この特性と避難行動の関連性について考察されていることについて、私は恥ずかしながら知りませんでした。「人間は、”津波てんでんこ”は出来ない動物である」という広瀬先生の言葉は胸に刺さりました。
3.11のとき、私は愛知県の会社に居て、長周期振動で揺れる建屋から避難をしました。まもなく震源が宮城県沖であることを知りましたが、私は同夜、こともあろうに自身の送別会に参加していたのです。その後、酔った帰りのタクシーのカーラジオにて、良く知る地名と行方不明者数を聴き、一気に血が引いたことを思い出しました。あれは正常性バイアスだったのです。
話を元に戻しましょう。よく”ゆでガエル”などと称しますが、「人間は変化が緩やかだと、異常を正常の範囲内のことと捉えて、回避行動が取れない」のです。「感度が鈍い、お馬鹿なカエル」と他人の事を笑えません。急激な変化に際した場合も、凍り付いてしまい、全く動けないことがあるのです。
人間の特性を理解した上で、「命を守るという目的に合った方法」とは何なのか? 「職場の風土を改革するという目的に合った方法」とは何なのか? 自身の中で大きなテーマが立ち上がりました。□