
カウンセリングをしていると、私と同世代のおじさんは以下の能力に長けているように感じます。
- 悩んでいるのに、そのキッカケを語るとき、自身の感情は表に出さず、
- 自身の中で解釈した差障りのない言葉に言い換え、
- 客観的事実のように語る
無理もありません。会社の中では客観的事実が重んじられるからです。主観的な言葉で表現するのではなく、感情を排除した客観的な言葉で、事実を語ることが求められるからです。
結果、以下のように思い込んでしまったのではないでしょうか?
- 人前で感情を表すなんて大人げない 恥ずかしい
- 生々しい言葉でなく、一般的な表現をした方が、自身は安全で居られる
- 客観的な事実でないと、周りの人には受容れられない

悩んでいるのに、極度の安全意識から防御線を張って自己開示が出来ず、モヤモヤが堆積しているようです。こんなときは…
- あえて感情を曝した方が、今を良く生きられる(傍若無人に振舞うということではなく、アサーティブに自己主張する)
- 一般的な表現で語っても何も解決されないことを受容れる 何でも仕組みで解決できると思わない
- 全ての悩みは主観的なものであり、自分自身でしか解決できないと受容れる 客観視すれば何でも解決できるという思い込みは捨てる
上記のように考えられるようになると、「今ここをよく生きる」ことができるようになると、私は思います。このためにカウンセラーがするべきことは以下のようになります。

- 生々しい言葉で感情を表してもよい、安心安全な場を作る
- 一般的な表現で語っておられる場合は、好意的関心を持って、その意味を丁寧に問う
- 全ての悩みは主観的なものであって、主観的な意味に基づいて、意味が実現すれば良いのだということを、経験代謝のプロセスを通して伝える
おじさんに防御線を解いてもらうことは容易ではありません。何せ、私自身がそうでしたからね… しかし容易ではないからこそカウンセリングを受け、その効果を体感して欲しいと強く思うのです。□
コメント
昨日の勉強会でおっしゃっていたことですね。
ビジネスの世界で「わかりづらくされてしまったおじさん」・・・。
おっしゃる通りですね。
私自身も、空気を読んだり、自分の仕事の枠を決めたりと、不自由さを感じておりまして、
もっと正直に自由に生きようと最近考えてます。