会社でWill-Can-Mustのフレームワークを用い、キャリア開発の話をしていると、以下のようなニュアンスで返されることがあります。
『これまで会社から求められること(Must)に向かい合い、それなりに成果も上げてきた。それなのに今更、”VUCAの時代、Will-Can-Must の Will が大事です。会社は Must なんか示してくれませんよ”とか言われても困る! 放っておいてくれよ!』
そうですよね、お気持ち察します。このような気持ちになるまでのストーリーは人さまざまですから一般化して語るのは乱暴ですね。そのストーリーを紡ぎ出すのがキャリコンのお仕事ですから… でも、ここではあえて私の考え方を書いてみたいと思います。
Mustの中の意思
会社から求められることと言いますが、求められるだけでなく、ご自身も納得した上でお仕事をされてきたのですよね? 会社の進むべき方向に少なからず共感し、使命感も感じながらやってきたとすれば、『自分がやるべきと思ってやってきたこと』と捕らえれば良く、『会社から求められたからやってきた』と卑下する必要は無いでしょう。受動的にせよ、そこに貴方の意思はあると思うのです。
Canを拡げるための努力
会社から求められてやってきたと言いますが、何も努力せず、既に持っていた技能だけで対応できたのですか? 求められることをこなす為に、新しいことを学んできたのではありませんか? そこにはCanを広げようとする貴方の意思があります。
Willは仕事だけではない
Willがないと卑下しますが、別に仕事の範疇で達成するWillがなければいけないということではありません。私生活の中で実現したい夢でもいいし、夢なんかなく、ボーッと生きていたって何ら問題ないと思います。『仕事の夢を実現した人こそが尊い』という価値観だけでは余りに窮屈ですね。人の道を外さずに生きていられれば、それだけで尊いと、私はこの年になってようやと思えるようになりました。負け惜しみのように思われるかもしれませんがね…
大事にしてきた、既にある資産に気付く
上記のような観点で、この方のお悩みを見れば、自分にはWillがないと卑下する必要は全くないと思うのです。自分に無いものに気付き、それを補おうとする気持ちは尊いものだと思いますが、既にあるものや大事にしてきたことに目を向ける方がいいのではないでしょうか?
自分に対してもっと柔らかい視線を向けることで、前向きなエネルギーが沸いてくることは、よくあります。Will-Can-Mustが揃わないとダメだと自分を縛るのではなく、既にある資産に気付くことも大事だと思うのです。□
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