カウンセリングやコーチングを学ぶ際、「”聞く”と”聴く”の違いは何でしょう?」というお題について論じることがあります。「”聞く”ではなく、”聴く”を心掛けましょう!」というお話しですね。社外人材によるオンライン1on1を提供するYeLLの篠田真紀子さんは、「”聴く”は、”without judgement” だ」と言います。判断せずに、裁かずに聴くことの重要性を説いておられ、私にとって”聴く”の定義となっています。
先日、小池陽人さんの動画で、元NHKエクゼクティブアナウンサーの村上信夫さんが、「”聴す”と書いて何と読む?」というお話しをされており、すっかり耳を奪われてしまいました。「ゆるす」と読むのだそうです。判断しないどころか、許してしまうのです。これには、う~んと唸ってしまいました。
ここで言う、”ゆるす”とは「判断し、裁いた上で、許す」のとは意味が違いますね。この”ゆるす”は、”在りのままを受容れる”意味だと、私は感じました。良いとも悪いとも判断せず、「ああそうなのね」と、そこに置いておく。これはネガティブケイパビリティに他なりません。人は白黒をつけたがる生き物で、曖昧なまま置いておくのは苦手。その能力を養うのが、哲学や宗教だと私は思います。
さて、ネガティブケイパビリティが、カウンセリングやコーチングに必要なことは言うまでもありませんが、相手のものの見方に完全に同調してしまうようでは、カウンセリング、コーチングにはなりません。ロジャースの3条件「受容・共感・一致」。自分の考え方に照らした上で、一致するかが重要ですね。経験代謝のカウンセリングにおいて「意味の出現を促す質問は難しい」と言いますが、その多くは、カウンセラーが不一致を表現したときに始まります。相談者に新しい視点が示されたとき、内省が一気に進むのです。
これはカウンセラーにとっても大切な瞬間。カウンセリング心理学者の池見 陽先生は、ご自身の自己一致に関する体験談を述べておられますが(傾聴とフォーカシングの臨床心理学)、純粋な思いからくる自己開示は、カウンセリングの流れを激変させるのです。
一致・不一致も含めてゆるし合えたとき、それはカウンセリングの領域を超え、真の対話となるのではないでしょうか? そこにはもう、相談する側/される側という、意図しない上下関係すら無いのですから…□
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