問題文をどう捉えるか?
まず”問い3”の問題文を読んでみましょう。
[問い3] 全体の相談者の語りを通して、キャリアコンサルタントとして、あなたの考える相談者の問題と思われる点を、具体的な例をあげて解答欄に記述せよ。 (23回、JCDA論述試験)
この短い文章の中に、いろいろな情報が含まれています。
- ”全体の相談者の語りを通して”→冒頭で語られる「来談目的」ではなく、「逐語録全体から読み取れる~」という意味ですね。
- ”キャリアコンサルタントとして、あなたの考える”→「キャリアコンサルタントとしての専門性を持って~」という意味ですね。
- ”相談者の問題と思われる点を”→「相談者の」という点がとても重要です。「問題」という言葉の捉え方も重要ですね。本点については次節で論じます。
- ”具体的な例をあげて”→「抽象的な表現ではなく、具体的に」という意味です。逐語録から、具体的なキーワードを拾ってこなくてはいけません。
「相談者の問題」とは?
我々は”問題”と言われると、客観的な事実としての問題をイメージします。特に企業においては「目標値に達していない」とか、「今日中に完了させる予定だったが、終わらなかった」とか、〇か×、善か悪かで判断できる問題をイメージします。上手くいかなかった原因を探り、それを解消します。アドラーはこれを”原因論”と呼びます(例えばココ)。
しかし、問い3の”問題”とは、相談者のありたい姿と現状のギャップです。ありたい姿は、相談者が思い描く”ありたい姿”であり、”現状”も相談者が経験したものです。すなわち、どちらもその主語は”相談者”であり、”主観的な”ものです。原因論に基づき、”客観的事実”を相談者に突き付けたところで、問題は解決するでしょうか? カウンセリングの目的は「相談者の自己概念の成長」であり、アドラーが言うところの、”目的論”に基づいたアプローチが必要なのです。
社外人材によるオンライン1on1を手掛けるYeLLの篠田真貴子氏は、「”聴く”とは、without judgementだ」と言います(ココ)。良いとか悪いとかジャッジをせず、ありのままに聴くのです。これに対して「”聞く”は、with judgement だ」と言います。
原因論に基づいて客観的な問題点を探し、「相談者の自己理解不足、仕事理解不足が問題だ」と言う方は、どのように思っておられるのでしょう? 「キャリアコンサルタントの私から見ても、誰から見ても(客観的に見て)それが問題でしょ?」というjudgement=裁きが見え隠れするのです。
「客観的に見たら、それが問題かもしれないけれど、一人では解決できないから、今日、こうして相談をしに来てくれたのですよね?」という気持ちで相談者に向き合うなら、裁いてしまうことはないはずです。
それでは改めて何を答えればいいのか?
「主訴」を答えればいい…と私は思います。「相談者の問題~悩み~主訴」と捉えればいいのです。「逐語録全体から読み取れる~」なので、来談目的ではなく主訴なのです。好意的関心を持って相談者に寄り添い、相談者にとっての悩み=主訴を記述すればいいのです。
最も本質的な問題に絞る
カウンセリングを通じ、いくつもの経験を聴くと、いくつもの問題をあげたくなりますね。人によっては「共通部分」で語られたギャップまで表現されます。
しかし逐語録を先頭から読んでいき、ギャップをいくつも抽出するようなやり方、私はお薦めしません。なぜなら、より本質的な問題は「意味の出現」が始まった事例Ⅱの後半に現れているからです。ここにフォーカスし、相談者にとってより本質的な問題点について記述するのが良いのではないでしょうか?
口頭試問で主訴を問われたとき、①〇〇が~なことが問題、②△△が~なことが問題… なんて、いくつもあげないですよね。メモを取りながら聞くと、そうなるかもしれません。しかし実際のカウンセリングの場では、一通り話を聴く中で浮かび上がってきた、最も本質的な問題を”主訴”として答えますよね。自己概念が揺らいだ本質的な問題だけを記述すれば良いと、私は思います。
まとめ
本コラムでは、キャリコン論述試験問い3にどう向き合うべきかについて述べました。
- 「相談者の問題」とは、相談者にとっての、悩み=主訴です。
- 原因論に基づく問題解決は封印し、目的論で考えましょう。
- 自己概念が揺らいだ本質的な問題に絞って記述するのが良いでしょう。
参考にしていただければ幸いです。□
※このコラムは以前掲載した「問い3は”相談者の”問題」と「論述問い3べからず集~〇〇不足は止めましょう~」を統合し、再編集したものです。
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