以前、臨済宗における「四料揀と和尚さんのカウンセリング」についてご紹介しました。今回は人をキャリコンとし境を相談者と置いて、キャリアコンサルタントと相談者の関係を考えてみたいと思います。
下図左は前回提案したマトリックスです。人(主観)を和尚さん、境(客観)を相談者と考えてください。和尚さんはまず①黙って相談者の話に耳を傾けます。次に②で説法。③で一緒に座禅し、④でお茶飲みながら歓談。①~④のモードを適宜切り替えているというお話でした。
今回、右図のように読み替えて下さい。私のように漢文が苦手な人は、こちらの方が分かりやすいかもしれません。”奪”とは、その対象から発言を奪うことですので「聴く」、”不奪”とは発言を奪わないことなので「話す」と読み替えます。これは相談者とキャリコンとの関係に限らず、1対1の対話における、話す/聴くの組合せに他なりません。
さてキャリアカウンセリングは、あくまで相談者が主体であり、キャリコンには聴くことが求められます。図の①に相当し、これは傾聴モードと言えましょう。これに対し、②は「キャリコンが話し、相談者が聴く」であり、キャリアコンサルタントが相談者に助言をしている状態です。カウンセリングとしては好ましくないとされるモードです。
それでは、キャリアカウンセリングは①傾聴モードが好ましく、②のモードはダメと言い切れるでしょうか? また、③や④のモードはありえないのでしょうか?
まず②のモードですが、確認や自己一致のためにする問い掛けも、ここには含まれます。「私はあなたの話を~と受け取ったのですが、それでいいですか?」とか、「私はちょっと違和感を感じるんですよね…」なんていう問い掛けも②に含まれるのです。
また、③はお互いに聴いているモードとなるでしょう。どんな場面かと言えば、「二人の間に流れる沈黙を味わっているような状況です。無言のうちに見つめあっているような状況かもしれません。「沈黙モード」であり、相互に内省が進むモードです。
④はお互いに話しているモードです。勝手に話して嚙み合わないならば問題ですが、お互いが自身の思いを語り合い、存在を認め合っているなら、対話の在り方として悪くはないのかもしれません。「相互共感」モードと名付けましょう。
このように考えると、「キャリアカウンセリングは①傾聴モードであるべきだ」とするのは、やや窮屈な考え方と言えるのではないでしょうか? むしろ、良質なカウンセリングには②、③、④のモードが適当な割合で含まれている… 私はそんな風に思うのです。□
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